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マイク バレリーへの質問10

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昨年9月よりStreet PlantをONLINE SHOPで販売させてもらってますが、 今年に入ってからマイク・バレリー氏本人との直接のやり取りが続いたのでいろいろなことを聞くことができました。 なにせMIKE Vといえば私がスケートにどっぷりとハマったときには、既にプロとして活躍していたのに未だ現役を貫いている。44歳という年齢にも関わらずストリートスケートをデモンストレーションできるプロスケーターは彼しかいないと思います。 そんなMIKE Vが先日タンパにて行われたプロコンテストに登場し、ワンマンデモを行ったのは記憶に新しいところ。その翌日に自身のSNSを通し、コンテストからは退く意向を発表しちょっと話題になりました。 この質問はちょうどタンパからロングビーチに戻って間もなく回答をもらったものになります。

 

Tampa Pro 2015

Q.1

30年近くプロスケーターとして活躍しているあなたの存在は、1人のプロスケーターがとても長い期間、現役でいれることを証明したと思います。しかしそれは常人には想像できない強靭な体力と精神力を養ってきたからに違いないと思います。長きに渡り第一線で活躍し続けるためにトレーニングしてきたことがあれば教えてください。フィジカル面とメンタル面でそれぞれあれば是非。

MIKE V:スケートボードのために何かを鍛えたりしたことは本当に一度もないんだ。ただスケートしているだけさ。そして常にアクティブに動くように心がけている。あとは規則正しい食事と適度な運動をする。俺にとってスケートすることが若くいられる根源なんだと思ってるよ。

 

Q.2

Street PlantからリリースされたBarnyardのリイシューボードは凄い人気ですね。あなた直筆サインとシリアルナンバー入りなので、乗らずにディスプレイする人が多そうです。でも乗るなら他のパーツもオリジナルにこだわりたいです。参考にしたいので89年当時のセットアップを教えて貰えませんか?

MIKE V:オリジナルのセットアップはさすがに覚えてないよ。オレはギアにこだわらない性分なんでね。その時々で使うべきものを組み合わせて乗っていたよ。

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SPEED FREAKS ’89

Q.3

では、今現在のセットアップは?

MIKE V:今は57mmのウィールと149のトラックを組んでいるけど、もうちょっとワイドなトラックでも良かったな、159とか。足回りを損なわないように薄めのライザーパッドも入れてるよ。ベアリングはいつもBones Swissだね。今はレールは着けてないよ。

 

Q.4

バーンヤードのグラフィックは、ヴィーガンや動物愛護がテーマになっているけど、あなたは今でもヴィーガン、あるいはベジタリアンですか?donteat

MIKE V:今はもうどちらでもないよ。このグラフィックからは、当時の俺がより深く、特別な何かを模索していた様子がうかがえるね。かつての俺は何かを制限することで新たな何かを見いだそうとしていた。しかし菜食という制限はオレには向いていないと分かった。でもこのグラフィックと掲げているメッセージは今でも気に入ってるんだけどね。

 

Q.5

これだけの長いキャリアの中で、多くのビデオやコンテスト/デモの記録を残していますが、自分が最も気に入っている、又は思い入れの強いフッテージやコンテストがあれば教えてください。

MIKE V:特にお気に入りはもたず、常に今を楽しむようにしているんだ。今この瞬間、自分のスケートがベストであるよう心がけてきたよ。

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 Rubbish Heap ’89

 

Q.6

もし無人島に1トリックしか持っていくことができないとしたらどんなトリックを選びますか?

MIKE V:トリックは持って行かないよ。俺はお気に入りのトリックを持っていないんだ。俺にとってスケートボードとは、その瞬間を表現する手段であって、トリックをメイクすることではないんだ。

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Scenic Drive ’95

Q.7

現在のスケートボードのシェイプのルーツといわれるバーンヤードがリリースされた89年以降、ボードのシェイプは進化を遂げ、スケーターの表現方法も今なお進化し続けていますね。あなたはその過程をプロスケートボーダーという目線で見続けてきましたが、その間であなたが最も印象的だったエピソードを教えてください。Exif_JPEG_PICTURE

NATAS, MIKE, GONZ ’87

MIKE V:1989年以降に起こったことなんて沢山ありすぎるよ。とにかく、その発展に貢献できたこと、そして今でもシーンにいられることをとても嬉しく思っているんだ。そして80年代中期にストリートスケーティングが誕生したこと。それこそが、俺にとって最も革命的な瞬間だった。全てはその時の発想の精神から派生していったんだ。TH8608

Cover of THRASHER MAGAZINE August ’86

Q.8

STREET PLANTの今後の展開について教えてください?

MIKE V:楽しみながらやっていくだけさ。

 

Q.9

今年中に来日はありそうですか?

MIKE V:まだ分からないが、またいける事を強く望んでいるよ。

Q.10

最後に日本のファンに一言

MIKE V:

SKATE AND ENJOY. THANK YOU!

 

1281 ’91

THANKS MIKE V.

DEAR Skating 親愛なるスケートボードへ

Exif_JPEG_PICTURE 今一番愛すべきブランドが日本にも上陸したようです。その名もDEAR Skating。 スケートボードの歴史の中で最もクールかつ激動期(個人的にそう思ってます)だった90年代初期にビデオ・雑誌でプロスケーターが着用していたグラフィックやトレンドをアイテム化しているのだけど、目のつけどころが当時を知ってれば共感でき、知らない人には新たなメッセージとしても面白い思います。おなじみのものから、マニアックなものまで、こうしてアイテム化されることで再発見できるものがありますね。スケートボードのそういうところが面白い。

JASON LEE – “WAR SONG” Tee

Exif_JPEG_PICTURE ちょうど湾岸戦争の最中だった91年にリリースされたBLINDの『VIDEO DAYS』。JASON LEEがパートの最後で「There’s war outside your window~」とアカペラで歌う場面で着用しているのがコレ。お世辞にも上手とはいえない歌だけど、何気に印象に残るパート。因みにJASONのパートの出だしで着ているVENTUREの”AWAKE”Tシャツも永久保存したいデザイン。

BLIND – VIDEO DAYS ’91

GONZ - “ISREAL”

gonz gonz

BLIND - VIDEO DAYS ’91

同じくBLINDの『VIDEO DAYS』で伝説的なフッテージを残したゴンズのパート内のオフショットでチラッとみえるのがこのISRAELTシャツ。ゴンズのツンデレな表情がトリッキーな場面です。因にHATIKVAとはヘブライ語で”希望”の意でイスラエルの国歌を指すらしいです。

TODD CONGELLIERE(F.Y.P)

Exif_JPEG_PICTURE SANTA CRUZの『RISK IT』やLIBERTYの『HORROR』など、トッド・コンジェリアが残してきたビデオパートのサントラは、自身がフロントマンを勤めるパンクバンド、F.Y.Pのトラックだった。テクいランプシーンとオチャラケ風味のストリートシーンがチープでキャッチーなFYPのハードコアサウンドと絶妙にマッチする。F.Y.P初期ロゴプリントTとカセット、リバティ時代のデッキグラフィックのキャラステッカーの3点セットはなかなか嬉しすぎるし、かなり凝ってますね。現在は自身のレーベル「Recess Records」を運営し、TOYS THAT KILLやUNDER GROUND RAILROAD TO CANDYLANDというバンドで活動。日本に呼びたいな~。

UNION – Right to Skate ’92

WALLET CHAIN – MATT HENSLEY

Exif_JPEG_PICTURE スケートボードの話でMr.ウォレットチェーンといえば、ヘンズリーですね。カーゴショーツやチャッカブーツ、ライン入りのハイソックスに坊主刈りなど、ヘンズリーアイテムは沢山あるけど、パンツの横からチェーンが垂れ下がってるスタイルも、ヘンズリーから始まって結構なロングランブームだったように感じます。人によっては徐々にチェーンの形状がエスカレートしていき、SIMON WOODSTOCKなんかがデカい鎖をぶら下げている写真を見た事があります。チェーンが付いてればサイフ本体の形状は何でも良いと思うけど、強いて言うならこんな三つ折りで小銭が入らないタイプがアメリカっぽくて良いですね。2つのボタンでパチッとめるこのタイプ、当時私も使用してましたけど、はいてたパンツの全てのケツポケットに穴が開きました。しかし、このサイフ、チェーンのバンド部分にDEARのインボスがあるだけじゃね? ま、そんなところがDEAR Skatingの魅力な訳ですけど。

H-streetの『Hokus Pokus』ヘンズリーのパートで使用されたSub Societyの名曲”A Lot Less ”をHistoricsがカバーしているんですが、滑っているスケーターがヘンズリーのファッションをマネているトリビュート作品。John Rattray, Alex Olson, Braydon Szafranski, Andrew Allen, Heath Kirchart, Mike Rusczyk, Chris Pastras, Clint Peterson,  Spanky らがHENSLEYパートのカバーしてるということです。

RAY BARBEE – “BAN THIS” CAP

Exif_JPEG_PICTURE ノーコンプライマスターのレイバービーがPOWELL PERALTAの名作ビデオ『BAN THIS』のフッテージで被っている黄色いキャップです。動画だと良くわからないけど、RBて書いてあったんですね。RB CONTROLってなんだかRAY BARBEEにぴったりなネーミングです。『BAN THIS』のRAY BARBEEパートはたった1日でシューティングされたから全部このキャップ被ってます。ツバを上向き気味でおでこ丸出しで被るのが正解。

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SEAN SHEFFY – “Einstein”

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91年リリースのLIFE の『A SOLDIER’S STORY』でショーン・シェフィーが着ているのがアインシュタインT。ピクニックテーブルでのバックテールが驚異的すぎてアインシュタインの存在感薄れてましたよ。同じ髪型だし。でもビデオパッケージのシルエットが最高にカッコ良いですよね。あのTシャツ欲しいなぁ。

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LIFE – A SOLDIER’S STORY ’91

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SuperCush

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90年代前半にごろから姿を消していたSUPERCUSHのイタリックロゴ。いつ観てもイカしてます。デラックスになって釣りイメージに変貌しちゃったのってなぜなんでしょうか?

久々出会えてスウェットとTシャツを大人買いしたい衝動です。

SMA Rocco Division

SMA

 

DEAR Skatingの着眼点はearly 90’sに集中しているわけだけど、正にそれを象徴するのがワールドインダストリーの誕生。スティーブ・ロコがプロを引退して、SMA傘下でボードを売り始める期間、ワールド誕生前夜のネーム。後にSMAをファックユーし、パウエル・ペラルタを脱退したミューレンとデザインした革新的ダブルキックやゴンズとのBLIND立ち上げ、ナタスの101やPLAN B、そしてBig Brother。early 90’sのストリートスケーティングとカルチャーを築いてきた起源ですね。また、Girl Skateboardとの対立など、プロスケーターの移籍やカンパニーの分裂劇のようなウラ事情が注目を浴びるようになったのもこの時代からだったような気がします。

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POWELL PERALTAの『PUBLIC DOMAIN(’88)』でマイク・バレリーが墓場を駆け抜けるシーンがあるけど、後にワールドに移籍したバレリーがSPEED WHEELSの『SPEED FREAKS(’89)』で”もう墓場を走抜けるのはウンザリだ!”っていう演出みたいなやつです。(完全にパウエルとの決別を訴えているバレリーだけど、90年半ばに一回パウエルに戻るよねw)

 

以上、当時を知ってる人には懐かしくてアツいアイテムになるけど、知らない人でもその背景を知ると、思わずグッときてしまう。そんな着眼点が素晴らしいDEAR SkatingはHESHDAWGZに入荷しているので気になる人はすぐHESH!

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もちろんSLAPPY BLAST Super Storeでも取り扱っております!

SHOP NOW!

EARTHLESS来日ツアー決定と
そう言えばMARIOに会った時の話

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Eternal ElysiumのサイトによるとサンディエゴのヘヴィロックトリオEARTHLESSの来日が決定したようです。今年1月に来日が決まっていましたが、メンバーの諸事情により延期になっていた企画なので再度の来日決定に期待が高まります。

 

で、EARTHLESSといえばマリオ・ルバルカバが在籍するバンドです。かつて長髪ドレッドを振りかざしながら駐車場でスケートするアルバスケーツ・ヤングガンズなマリオさんですが、アングラミュージック界でも、重鎮といえるキャリアを持つドラムプレイヤーとして有名。411を筆頭に、Clikatat IkatowiやThingy, Black Heart Procession、Rocket From The Cryptなどなど、90sサンディエゴのインディロックシーンを確立してきた多くのバンドで主にドラムを叩いていた人物。スケートでは、New SchoolやATM、Physics Wheelsなどのライダーでビデオパートも残していると思います。(現在はASSAULT SKATEBOARDSからボードもリリースしてるぜ!)

そんなマリオさんが、今年6月にOFF! JAPAN TOURで来日したのですが、スケート系のメディアで殆ど取り上げられなかったのがちょっと残念でした。ゲレロやレイバービー、ヘンズリーも良いけどやっぱマリオでしょ!

ということで、そういえば今年6月にマリオさんにお会いして、短い時間ではありましたが、お話しさせてもらった時のこと。その内容が素晴らしくマニアックだったので紹介させていただきます。

主に話した内容はマリオが90年~91年に活動していたCHICANO CHRIST(チカーノクライスト)というバンドについてです。

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たった1枚の10曲入り7インチEPしかリリースしていないバンドなのですが、非常にユニークなコンセプト。ジャケの雰囲気を見てもらえば分かりますが、イエス・キリストがバンダナ巻いて煙吸いながらハンドサイン。チカーノギャングを彷彿とさせるいかにもなイラスト。メンバー写真もネルシャツにバンダナ着用といった典型的なスタイル。チカーノギャングを装って結成された企画バンドですが、そのこだわり具合いが徹底されている。スペイン語の歌詞が入っているのだが、歌詞カードには”ヒスパニックじゃないホーミーのために英訳も載せておくので、オレらのリリックを分かってくれよな”という注釈があったり、歌詞タイトルもギャング書体で書かれていたりと一貫したチカーノワールドを展開している。chuushaku

 

楽屋にお邪魔してリラックスしているマリオにジャケットを見せると、あまりの懐かしさに近くに居たキース・モリス氏に「これ見てくれよ!」と駆け寄る。「キミのレコードか。ふ〜ん」とキースさんの反応はイマイチだったが、マリオ1人で一気に盛り上がり、当時のことを語り始めた。

 

内容はこんな感じ、

懐かしいな~コレ、411でギター弾いてたKevinやChrist on paradeのメンバーで結成したバンドなんだよな。411をやりながらほんのお遊びでやってた感じだったから、このバンドでライブなんてしたことないよw。仲間同士集まって、オレらメキシコ系だったから、ヴォーカルの奴が思いつきで”チカーノ・クライスト!”って言って、それをバンド名にしたんだ。”Brujeria Goes To Hell”って曲があるだろ? あれはNEMESISのレーベルメイトだったBrujeria(anti-christ、サタニズムを掲げるヒスパニック系メタルコアバンド)に宛てたアンチソングなんだ。オレらチカーノクライストだからね、フフフフフ。」というエピソードから、94年のNO FOR AN ANSWERのリユニオンツアーでドラムを担当していたが、マリオ本人は全くSEじゃなかった話など、アーリー90’sの活動秘話が次々飛び出した。会話中マリオが最も強調していたのは「このレコードはたった2回の練習で10曲を完成させてレコーディングまでしたんだぜ」と3回繰り返し語ったこと。誇らしげに。

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確かに91年当時、二十歳そこそこの年代であろうメンバーでこのコンセプト企画と楽曲センス、そして演奏力とそのバイタリティにマリオのミュージシャン魂を感じた瞬間だった。スケートもカッコいいけど、ドラムのスキルもハンパじゃないぜ!

「マリオ、お前はサンディエゴでNo1のドラムプレーヤーだぜ! 」と伝えたら

「ありがとう、言っておくがChicano Chrstでオレの担当パートはドラムじゃなくギターだからな」と返されたのがこのお話のオチになります。

25年近くの時を経て、CHICANO CHRISTでマリオはドラムではなくギターを担当していたことを知った熱い夜。

そんなマリオが相当な力を入れて(ドラムで)活動しているEARTHLESSの来日が非常に楽しみであります。

 

DINOSAUR JrのソングトラックPartをコンピレーション そして当事者HIDEO SAKURAGIインタビュー

scan-001 スケートビデオでダイナソーJrのソングトラックを使用しているパートをまとめてみると、80年代後半から現在までオールタイムでスケーターたちにリスペクトされているバンド(楽曲)ということに改めて気づかされる。そして、そのビデオパートの数々はどれをとっても名パートと呼ぶに相応しいものばかり。実際のところSkateworksのビデオなんて観たことなかったけど、Chet Childressのパートで名曲”The Wagon”(同曲はG&Sのデューディックパートで有名ですが)が使用され、チェットが残してるパートの中でもめちゃくちゃ良い映像だと思う。Alien Workshop最後の作品となったMind Feildは、ファーストビデオMemory screenのオープニングトラック”Creepies”をリマスターし、原点回帰とも言えるその演出に胸が熱くなるし(RIP A.W.S)、SSTレコード所属バンドの楽曲が全面フィーチャーされたSpeedfreaksはラストを飾るマイクVのパートで流れる”FreakScene”がエンディングロールでリピートされるところまで含め、2回続けて聴いちゃう気分にさせる手法にやられます。

そしてそして、海外ビデオにて日本人がダイナソーの曲でパートを残しているという事実。’93年にSMAがリリースしたel numero tresで桜木英生が自身のパートでダイナソーの”Puke and Cry”を使用している。今から20年以上も前に単身アメリカに渡り、メジャーカンパニーからサポートを受けるだけでもセンセーショナルであろう時代に、ビデオに単独パートを残し、おまけにダイナソーJrのトラックが使用されている……。プロスケーターのキャリアとしてある意味ロイヤルストレートフラッシュのような偉業を残したHIDEO SAKURAGI氏にも楽曲使用の経緯や当時の話を聞くことができたので、そちらのインタビューも是非チェックしてほしい。You Tube上にあったものを目一杯リンクさせてみました。

Dinosaur Jr Skate Video Parts Compilation

Freak scene / Mike VallelySpeedfreaks (Speed Wheels)’89

Let it ride / Neil Blender & Steve ClaarSpeedfreaks (Speed Wheels)’89

They always come / David NeilsenSpeedfreaks (Speed Wheels)’89

Pond song / Brian BrannonSpeedfreaks (Speed Wheels)’89

The Wagon / Rob Dyrdek, Duane Pitre, Steve Claar - Footage(G&S)’90

The Lung /  Rob DyrdekMemory screen(A.W.S)’91

Budge / Duane PitreMemory screen(A.W.S)’91

Feel whole lot better / Steve ClaarMemory screen(A.W.S)’91

Just like heaven / Rudy JohnsonVideo Days(Blind)’91

Puke and Cry / Hideo Sakuragiel numero tres(SMA)’93

On The Brink / Donny BarleyEastern Exposure ’96

I don’t think / Josh StweartCinematographer(TWS)’97

Yeah We Know / Brian AndersonJump off a building(Toy Machine)’98

The Wagon / Chet ChildressPortable Flat Bar(skate works)’98

Little Fury Things / Reese Forbesworld tour(Element)‘99

In a Jar / Ricky Espinoza - Let it Bleed(1984)’01

Forget Swan / Anthony PappalardoMosaic(Habitat)’03

Raisans / Diego BucchieriSuffer The Joy(Toy Machine)’06

Grab It / Kristian SvitakTurn up the hell(1031)’08

Creepies, Almost ready / Omar SalazarMind Field(A.W.S)’09

Grab It / Grant TaylorMind Field(A.W.S)’09

Crumble / Mickey TaylorMind Field(A.W.S)’09

HIDEO SAKURAGI interview

1993年にSANTA MONICA AIRLINE(SMA)からリリースされたチームビデオでダイナソーJrのソングトラックを使用したパートを残し、スケートボードの歴史に一名を刻んだヒデオ サクラギ氏。当事者である彼に当時のエピソードを聞いてみた。

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f/s nose slide crook grind to b/s nose grind – TWS ’93 “Check out”

    SB: 93 海外日本人初フルパートと言われているSMAのel numero tresでダイナソーJrの”puke and cry”を使ってますが、そもそもスケートビデオのパート選曲って自分で希望出せるんですか?

HS:あの時は、、、ある程度の希望は聞いてくれましたよ。でも本当は”The Wagon”が良かったんだけど、G&Sのビデオでデューディックたちが使ってたから、違う曲にするよう当時チームマネージャだったRussPopeさんにアドバイスを受けた覚えがありますよ。それでRussPopeさんが『きっと気に入るよ』ってことになって彼の言う通りにしたんだと思う。

 

SB:やっぱりダイナソーに思入れがあった?

HS:デューディックやルディ・ジョンソンのパートでも使われてましたしね。当時ハンティントンに住んでいてブラックレーべルのアマだったJustin Ortizがルームメイトで、スケート帰りにGreenmindのテープを買って良く聴いてたから。 dino_tapeSB:ジャスティン・オルティズとルームメイトだったんですね。

HS:ハンティングトンハイスクールでスケートしてたら出会ったんですよ。めちゃくちゃスケートが上手くてスタイリッシュな奴がいるな、と思ってたんですけど、あっちはあっちでなぜかオレがワールド・インダストリーズのライダーだと思ってたみたい。そんな話からお互いすぐ仲良くなりましたよ。むしろあいつがダイナソーの熱狂的なファンだった。

 

SB:ビデオがリリースされてから周りの反応は?

HS:あんま反応はなかったかな。ただ、雑誌に広告を打ってくれたり、カメラマンがこっち向けて撮ってくれるようにはなりましたね。

 

SB:初めて雑誌に出たのはいつですか?

HS:93年トランスワールド9月号のCheck out。

 

SB:93年のチェックアウト最高ですねw 良い顔してるなぁこのポートレート

HS:フランク・ヒラタがSMAに推薦してくれた直後で、オーシャンビーチに滑りに行ったらデイブ・スイフトに隠し撮りされました。トランスワールドに掲載されることは聞かされてなくて、フランクたちが仕組んだサプライズだったんですよ。スティーブ・オルテガやマリオ(ルバルカバ)、VISTAのスケーターたちがコメントしてくれて。紹介記事を書いてくれたのもフランク・ヒラタです。

 

SB:ヒラタさんの紹介でSMAに! やっぱり日本人の血受け継いでる仲間意識なのがあったんですかね?

HS:どうですかね、スケートでお互いを高めあってたから仲間意識はありましたけど。

 

SB:渡米してた期間は何年間ですか?

HS:91年8月から2001年8月までの10年間。91-93年がVISTA、93-94がHUNTINGTON、94-95年 San Jose、95-2001年 Irvine、Huntington、Costa Mesa。

 

SB:San Joseに移ったのはSMAのライダーだったから?

HS:そう。ティム・ブラウチやジェイソン・アダムス、イズリアル・フォーブス、ポール・シャープ…当時のSMAのライダーはほとんどサンホゼだったのでその仲間とスケートしてました。

 

SB:渡米中の生活はサンホゼがベストだった?

HS:サンホゼもハンティントンも良かったけど、やっぱりサンディエゴ/ヴィスタが最高でしょ! 今の会社名( VISTAS Co., Ltd.)にしたくらいです。91年に(マット)ヘンズリーと2人でスケートセッションした夜や彼がヴェスパに乗って滑りにきた事は人生最高の思い出です。ダニー・ウェイ、スティーブ・オルテガ、マリオ・ルバルカバ、フランク・ヒラタと一緒の日々は夢の中に居るようで、英語がわからなくても楽しかったすよ。もともとヘンズリーに憧れてアメリカ行った訳だし、ダニー・ウェイとの出会いやスティーブ・オルテガ、マリオの家でギターを聞いたあとにスケートしにいくような生活が本当に最高だった。日本でビデオや雑誌でみていたスケーターたちと一緒にスケートしている日々。。夢のようでしたよ。   

 

SB:最後に、今回のリストについて、蒼々たる顔ぶれとフッテージですがリストを見て何か感想があれば。

HS:アメリカ人になれ。Viviっとビスタス!

 

 

PROFILE】 HIDEO SAKURAGI(桜木英生・さくらぎ ひでお)

1973年10月2日生まれ。神奈川県逗子市出身。1991年に単身渡米しSMAからのサポートを機に、10年間アメリカでのプロスケートキャリアを築く。アメリカのスケートビデオに25本の出演実績を残すほか、THRASHER、TRANS WORLD SKATEBOARDINGなど、多数メディアにて活躍。2001年に日本に帰国後はスペインのブランド「Nomad skateboard」のプロライダーとして活動する傍ら、スケートボード輸入代理店「VISTAS Co., Ltd.」を運営。

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f/s 180 nose grind – Thrasher magazine Feb ’96

 Big Thanx! Hideo Sakuragi!!!