DINOSAUR JrのソングトラックPartをコンピレーション そして当事者HIDEO SAKURAGIインタビュー

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scan-001 スケートビデオでダイナソーJrのソングトラックを使用しているパートをまとめてみると、80年代後半から現在までオールタイムでスケーターたちにリスペクトされているバンド(楽曲)ということに改めて気づかされる。そして、そのビデオパートの数々はどれをとっても名パートと呼ぶに相応しいものばかり。実際のところSkateworksのビデオなんて観たことなかったけど、Chet Childressのパートで名曲”The Wagon”(同曲はG&Sのデューディックパートで有名ですが)が使用され、チェットが残してるパートの中でもめちゃくちゃ良い映像だと思う。Alien Workshop最後の作品となったMind Feildは、ファーストビデオMemory screenのオープニングトラック”Creepies”をリマスターし、原点回帰とも言えるその演出に胸が熱くなるし(RIP A.W.S)、SSTレコード所属バンドの楽曲が全面フィーチャーされたSpeedfreaksはラストを飾るマイクVのパートで流れる”FreakScene”がエンディングロールでリピートされるところまで含め、2回続けて聴いちゃう気分にさせる手法にやられます。

そしてそして、海外ビデオにて日本人がダイナソーの曲でパートを残しているという事実。’93年にSMAがリリースしたel numero tresで桜木英生が自身のパートでダイナソーの”Puke and Cry”を使用している。今から20年以上も前に単身アメリカに渡り、メジャーカンパニーからサポートを受けるだけでもセンセーショナルであろう時代に、ビデオに単独パートを残し、おまけにダイナソーJrのトラックが使用されている……。プロスケーターのキャリアとしてある意味ロイヤルストレートフラッシュのような偉業を残したHIDEO SAKURAGI氏にも楽曲使用の経緯や当時の話を聞くことができたので、そちらのインタビューも是非チェックしてほしい。You Tube上にあったものを目一杯リンクさせてみました。

Dinosaur Jr Skate Video Parts Compilation

Freak scene / Mike VallelySpeedfreaks (Speed Wheels)’89

Let it ride / Neil Blender & Steve ClaarSpeedfreaks (Speed Wheels)’89

They always come / David NeilsenSpeedfreaks (Speed Wheels)’89

Pond song / Brian BrannonSpeedfreaks (Speed Wheels)’89

The Wagon / Rob Dyrdek, Duane Pitre, Steve Claar - Footage(G&S)’90

The Lung /  Rob DyrdekMemory screen(A.W.S)’91

Budge / Duane PitreMemory screen(A.W.S)’91

Feel whole lot better / Steve ClaarMemory screen(A.W.S)’91

Just like heaven / Rudy JohnsonVideo Days(Blind)’91

Puke and Cry / Hideo Sakuragiel numero tres(SMA)’93

On The Brink / Donny BarleyEastern Exposure ’96

I don’t think / Josh StweartCinematographer(TWS)’97

Yeah We Know / Brian AndersonJump off a building(Toy Machine)’98

The Wagon / Chet ChildressPortable Flat Bar(skate works)’98

Little Fury Things / Reese Forbesworld tour(Element)‘99

In a Jar / Ricky Espinoza - Let it Bleed(1984)’01

Forget Swan / Anthony PappalardoMosaic(Habitat)’03

Raisans / Diego BucchieriSuffer The Joy(Toy Machine)’06

Grab It / Kristian SvitakTurn up the hell(1031)’08

Creepies, Almost ready / Omar SalazarMind Field(A.W.S)’09

Grab It / Grant TaylorMind Field(A.W.S)’09

Crumble / Mickey TaylorMind Field(A.W.S)’09

HIDEO SAKURAGI interview

1993年にSANTA MONICA AIRLINE(SMA)からリリースされたチームビデオでダイナソーJrのソングトラックを使用したパートを残し、スケートボードの歴史に一名を刻んだヒデオ サクラギ氏。当事者である彼に当時のエピソードを聞いてみた。

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f/s nose slide crook grind to b/s nose grind – TWS ’93 “Check out”

    SB: 93 海外日本人初フルパートと言われているSMAのel numero tresでダイナソーJrの”puke and cry”を使ってますが、そもそもスケートビデオのパート選曲って自分で希望出せるんですか?

HS:あの時は、、、ある程度の希望は聞いてくれましたよ。でも本当は”The Wagon”が良かったんだけど、G&Sのビデオでデューディックたちが使ってたから、違う曲にするよう当時チームマネージャだったRussPopeさんにアドバイスを受けた覚えがありますよ。それでRussPopeさんが『きっと気に入るよ』ってことになって彼の言う通りにしたんだと思う。

 

SB:やっぱりダイナソーに思入れがあった?

HS:デューディックやルディ・ジョンソンのパートでも使われてましたしね。当時ハンティントンに住んでいてブラックレーべルのアマだったJustin Ortizがルームメイトで、スケート帰りにGreenmindのテープを買って良く聴いてたから。 dino_tapeSB:ジャスティン・オルティズとルームメイトだったんですね。

HS:ハンティングトンハイスクールでスケートしてたら出会ったんですよ。めちゃくちゃスケートが上手くてスタイリッシュな奴がいるな、と思ってたんですけど、あっちはあっちでなぜかオレがワールド・インダストリーズのライダーだと思ってたみたい。そんな話からお互いすぐ仲良くなりましたよ。むしろあいつがダイナソーの熱狂的なファンだった。

 

SB:ビデオがリリースされてから周りの反応は?

HS:あんま反応はなかったかな。ただ、雑誌に広告を打ってくれたり、カメラマンがこっち向けて撮ってくれるようにはなりましたね。

 

SB:初めて雑誌に出たのはいつですか?

HS:93年トランスワールド9月号のCheck out。

 

SB:93年のチェックアウト最高ですねw 良い顔してるなぁこのポートレート

HS:フランク・ヒラタがSMAに推薦してくれた直後で、オーシャンビーチに滑りに行ったらデイブ・スイフトに隠し撮りされました。トランスワールドに掲載されることは聞かされてなくて、フランクたちが仕組んだサプライズだったんですよ。スティーブ・オルテガやマリオ(ルバルカバ)、VISTAのスケーターたちがコメントしてくれて。紹介記事を書いてくれたのもフランク・ヒラタです。

 

SB:ヒラタさんの紹介でSMAに! やっぱり日本人の血受け継いでる仲間意識なのがあったんですかね?

HS:どうですかね、スケートでお互いを高めあってたから仲間意識はありましたけど。

 

SB:渡米してた期間は何年間ですか?

HS:91年8月から2001年8月までの10年間。91-93年がVISTA、93-94がHUNTINGTON、94-95年 San Jose、95-2001年 Irvine、Huntington、Costa Mesa。

 

SB:San Joseに移ったのはSMAのライダーだったから?

HS:そう。ティム・ブラウチやジェイソン・アダムス、イズリアル・フォーブス、ポール・シャープ…当時のSMAのライダーはほとんどサンホゼだったのでその仲間とスケートしてました。

 

SB:渡米中の生活はサンホゼがベストだった?

HS:サンホゼもハンティントンも良かったけど、やっぱりサンディエゴ/ヴィスタが最高でしょ! 今の会社名( VISTAS Co., Ltd.)にしたくらいです。91年に(マット)ヘンズリーと2人でスケートセッションした夜や彼がヴェスパに乗って滑りにきた事は人生最高の思い出です。ダニー・ウェイ、スティーブ・オルテガ、マリオ・ルバルカバ、フランク・ヒラタと一緒の日々は夢の中に居るようで、英語がわからなくても楽しかったすよ。もともとヘンズリーに憧れてアメリカ行った訳だし、ダニー・ウェイとの出会いやスティーブ・オルテガ、マリオの家でギターを聞いたあとにスケートしにいくような生活が本当に最高だった。日本でビデオや雑誌でみていたスケーターたちと一緒にスケートしている日々。。夢のようでしたよ。   

 

SB:最後に、今回のリストについて、蒼々たる顔ぶれとフッテージですがリストを見て何か感想があれば。

HS:アメリカ人になれ。Viviっとビスタス!

 

 

PROFILE】 HIDEO SAKURAGI(桜木英生・さくらぎ ひでお)

1973年10月2日生まれ。神奈川県逗子市出身。1991年に単身渡米しSMAからのサポートを機に、10年間アメリカでのプロスケートキャリアを築く。アメリカのスケートビデオに25本の出演実績を残すほか、THRASHER、TRANS WORLD SKATEBOARDINGなど、多数メディアにて活躍。2001年に日本に帰国後はスペインのブランド「Nomad skateboard」のプロライダーとして活動する傍ら、スケートボード輸入代理店「VISTAS Co., Ltd.」を運営。

fsmnose

f/s 180 nose grind – Thrasher magazine Feb ’96

 Big Thanx! Hideo Sakuragi!!!

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